春歌の写真下の写真は、出生後に運ばれた治療室(NICUではない)で私の母が撮った写真2枚のうちの1枚です。 向かって右側の、春歌の頭を撫でているのは私の手です。 もう1枚では私の手が引っ込んでいる他、あまり変わり映えしません。 カルテ上ではこの時春歌は既に「死亡」していたことになっていますが 私は「ちゃんと生きていた」と思っています。例え人工的であろうと。 写っている自分の手が大好きです。 のちに母が 「写真に写っている春歌はチューブにつながれて顔もゆがんでいるし 見るからに痛々しい。背景の機械やお前の手も邪魔だし、 写真屋で綺麗に修正してもらったらどうだろう」と提案してきました。 私も最初はそうしようと思いましたが、 愛しい我が子を撫でる自分の手を消し、形ばかりの美しさを作ることに 何の意味があるでしょう。 どんな姿であれ、春歌は頑張って数時間を「生きた」。 それで十分ではないかと思います。 今でもこの写真を見ると、春歌の温かく小さな頭―しっとりした髪の感触まで―を つい昨日触れたかのように、記憶が鮮やかによみがえります。 プリント写真を更にデジカメで写したものですので、画像はいまいちです。 春歌と自分の手をズームしたのですが、オリジナルではもっと周囲に色々写っています。 ジャンル別一覧
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